爆弾の落ちてこない夏の空

平和を守るためにお母さんができること

思い出が一瞬で


広島平和記念日の前日、Xのおすすめにこんなポストが上がってきたんです。


いいね16.5万、けっこうな数です。
「花火」と「原爆」はこの時節の超特大キーワード、そこに子どもを絡めたらそりゃバズるわって話ですけど、このお母さんの対応に賛同するネットでの反応に驚くと共に、今どきの風潮をあらためて感じました。


わたしが驚いたポイントはズバリここです。


❝わたしとオットは瞬時に叱った❞


いや叱るか?(汗)

わたしが親なら「なんでやねんw 爆弾は落ちるもので花火は上がるものやろがw」と一緒になって笑ってましたよ。
だって9歳でしょ?小3でしょ?

この人の追記によると、学校ではまだ教わっていない、そして親である自分も教えた記憶がないのなら、子どもにことの重大性などわかるわけがないんです。
つまり、子どもは全く悪くない。
違います?

が、❝人もたくさん居たので❞と状況説明が添えられてあります。
キーはここなんですよ。

昨今、”不謹慎”のレッテルを貼られたら人生を詰む時代、このお父さんお母さんはその中で揉まれながら育ったわけです。
そりゃ人混みの中で子どもが不謹慎と取られる発言をしてしまったら、まぁ咄嗟のことで驚いて冷静さを失ったというのもあるのでしょうが、周囲に聞こえるように叱りつけて「わたしたちは常識人ですから!」とアピールするのが今どきのスタンダード、真っ当な反応でしょう。

とはいえ、せっかくの花火大会なんですよ。
子どもの成長なんか右向いて左向いてもっぺん右向いたらもう成人、それほど早くて貴重なものなのに、大事な思い出が一瞬でパー。
あの夏の日と同じく一瞬でパー。
マジ哀し過ぎません?

頭ごなしに叱られた子ども
咄嗟に声を荒げたパパママ

その場面を想像すると、めっちゃ胸が痛む。

お母さん、そうじゃない



以下、続きのポストです。
先輩ママのみなさん、もう少し痛む胸を抑えて頑張ってください。



責任感のあるいいお母さんですよね。
子どもが9歳だから、おそらく30代じゃないだろうか。
この年代の人たちの子ども時代の大きな出来事といえば東日本大震災、『不謹慎』という言葉が最強の批判ワードとなったのが、ちょうどこの時です。

その後、不謹慎となりうるネタには「触れてはいけない」という常識が定着。
道徳の時間に戦争の悲惨さを教える先生には「戦争を肯定するな!」「教師の資格はない!」と保護者から謎のクレーム、学校はやむを得ず『朝鮮人はわたしたちの兄弟です』教育に移行するしかなかったという、そんな時代にこのお母さんは子供時代を過ごしたはずなんです。

だからお母さん自身、知識どころか関心もさほどないまま大人になった。
それがいきなり子どもに原爆のなんたるかを教える責務が降ってきてわけですから、メンタルはそうとうきつかったことと思います。

子どもが原爆の言葉を聞きかじった先は”学童保育の指導員”さんということなので、なんちゅう無責任なことをしてくれたんだと憤る気持と、いやいや教免持ってない第三者に子どもを預けてる自覚の欠如、つまり悪いのはやっぱり自分なんだという自責の念、その二つの狭間で揺れながらも頑張って資料を集めて子どもと対峙したお母さん、本当に立派です。

が、


許されたい相手はママ、そりゃそうなりますよ。
子どもにとって一番辛かったのは、楽しい花火大会で親二人からガチトーンで叱られたこと。
原爆で亡くなった人(てか殺されたんです!)の気持ちを慮れと言ったところで、9歳の子どもにそれは無茶です。
子どもの願うことはただひとつ、「ママ、早く機嫌直して(泣)」
これですよ。


いや違う
お母さん違う
それじゃ形だけになってしまう
お母さんは死者の尊厳にだけ言及してる
つまりそれは「不謹慎と言われないよう自分を見張る習慣をつけろ」と言ってるのと同じなんです。

そもそも『なぜ第二次世界大戦は起こったのか?』を思考できる年齢になるまで、原爆の恐ろしさを理解できるわけがないんですよ。

東アジアの小国が信じられないような軍事力を持っていたことへのアメリカの恐怖、そこに原子力爆弾という当時最大級の兵器をついに完成させるという科学力が伴ってしまったがゆえの”狂気”、それを大量殺戮という形で奴らは無理くり昇華させたわけでしょ?

もし日本が早々に白旗を上げていたなら、科学力の誇示は違う場所でなされていた。
別の国に原爆は落とされていた。
アメリカはそういう国、いや人間とはそういうものです。

核兵器廃絶!と人類が叫び声を上げるためは、原爆は投下される必要があった。
今、わたしたちが夜空に咲く大輪の花に歓声を上げるためには、あの夏の日の惨劇がどうしても必要だった。

なんという理不尽。
なんという悔恨。

これを噛みしめられる年齢に達するまで、原爆投下の意味などわかるわけがないんです。
犠牲になった人に祈れと言われても、何を祈る?ゴメイフク?はいよろこんで!
となるのがオチでしょう。

一緒に考え、見守って



❝笑って言ってしまったな…って心から悔いて、明日その方たちに祈ろう。そして今後二度と笑ったり冗談で使うことが無いようにしよう❞


そう言われたところでお子さんが心から悔いるのは、花火大会でうっかりいらんことを口にしてオカン怒らせたこと以外にないです。

お母さんの言うべきことは「今すぐ心から悔いろ」ではなく、「いつか心から悔いることができるよう、明日からママと一緒にいっぱい考えていこう」です。
子ども自ら「あれは笑って言えることではなかった」と気付く日が来るまで、そばで優しく見守ってあげてください。

原爆は、条件さえ揃えば自分たち人間の誰もが持ちうる”狂気”の具現化。
その恐ろしさと向き合える強さを獲得した時が理解のゴールです。
何もわからないまま、ただの忌避語として原爆というワードを捉えることのほうが、よっぽど犠牲者に失礼ですよ。
理解できない子どものうちは、「花火!原爆♪」、これでいいじゃないですか。
むしろそっちのほうが自然ではないでしょうか。

それによって近くにいたおばさんが「何この子」みたいな顔を向けてきたら、「すんませんなぁ、まだ何も知らない子どもなもんで^^;」と言っとけばいいんです。
人がどう思おうがこの子の成長はわたしが守ってく!
そのくらいの覚悟でもって子どもを育てていくんですよ、お母さん。
けっしてそのおばさんに子どもの将来を差し出すような真似はしてはだめです。

そしてお母さん、お子さんにひとこと謝ってあげて欲しい。
あの時、急に怒鳴ったりしてごめん
ママもパパもびっくりして、あんな態度取ってしまった
せっかくの花火大会なのに、空気台無しにしてしまってごめん
めっちゃ反省してる
もし許してくれるなら、来年またママとパパと三人で一緒に花火大会行ってくれる?
と。


今年で戦後80年。
やれ米が高いだの自民党がクソだのと言いながらも、わたしたちは空襲のない平和な日々を過ごしています。
これからもこの平和を守るためには、戦争の恐ろしさを若い世代と共に考えるのはもちろんですが、今のこの平和をおもいっきり味わい楽しむことのほうがもっともっと大切です。

あの夏の日、小さな子どもを失ったお母さん、大好きなお母さんを失った子ども。
その人たちが空の上から花火大会ではしゃぐ令和の子どもたちを見て、不謹慎だ!と腹を立てるわけがない。
それどころか、無邪気な子どもの笑顔に、それを見守るお母さんの優しい眼差しに、ああ平和な世の中になったのだなと安堵するのではないでしょうか。


爆弾の落ちて来ない夏の空、それを当たり前と思わないことこそが犠牲になった人たちへの”祈り”です。

お子さんとの楽しい夏の思い出が、来年も再来年も、もっともっとたくさたくさん、ずっと増えていきますように!

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